福岡高等裁判所宮崎支部 平成8年(ネ)76号 判決 1997年9月19日
控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人宮崎県」という。)
宮崎県
右代表者知事
松形祐堯
右指定代理人
日高幸平
外八名
控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人三井島」という。)
三井島千秋
控訴人ら訴訟代理人弁護士
佐藤安正
同
加藤済仁
被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人花子」という。)
甲野花子
外四名
被控訴人ら訴訟代理人弁護士
成見幸子
同
真早流踏雄
同
徳田靖之
同
後藤好成
同
橋口律男
同
松田公利
主文
本件控訴を棄却する。
被控訴人らの附帯控訴に基づいて原判決を次のとおり変更する。
控訴人らは、各自、被控訴人花子に対し、金四九〇万円、その他の被控訴人らに対し、各金四二万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成三年一二月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じ、これを七分し、その二を控訴人らの、その余を被控訴人らの負担とする。
この判決は被控訴人ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 本件控訴について
控訴人らは「原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び原判決の仮執行の宣言に基づき控訴人らが平成八年三月一八日被控訴人花子に給付した金五〇四万一二二七円、その余の被控訴人らに給付した各金四四万〇三五二円ずつの各返還を求め、右仮執行により控訴人らの受けた損害の賠償として右各金員に対する平成八年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求め、被控訴人らは、本件控訴を棄却する旨の判決を求めた。
二 附帯控訴について
被控訴人らは、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人らは、各自、被控訴人花子に対し、金一五〇〇万円、その他の被控訴人らに対し、各金一二五万円及び右各金員に対する平成三年一二月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え(当審において請求の趣旨を減縮した。)。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、控訴人らは、附帯控訴を棄却する旨の判決を求めた。
第二 事案の概要
一 原判決三枚目裏九行目の「被告ら」(二か所)をいずれも「控訴人三井島」に改め、同一一行目の冒頭に「その使用者である」を加えるほかは、原判決三枚目表七行目から同裏末行までの記載のとおりであるから、これを引用する。
二 被控訴人らの主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決四枚目三行目から九枚目表一〇行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決四枚目表八行目の「尿路感染症」の前に「右疾病に」を加え、同九行目の「併発した」を「併発していたが、漸次改善している状態であった」に改める。
2 原判決六枚目裏三行目の「能力及び」を「可能性がある、また、」に改める。
3 原判決七枚目表四行目の「尿毒素」を「尿毒症」に改める。
4 原判決八枚目表一〇行目の「二九〇万〇三三〇円」を「二九〇万〇三〇〇円」に改める。
5 原判決九枚目表七行月の「損害賠償請求金額は、」から八行目末尾までを「損害賠償請求権の額は次のとおりであるところ、被控訴人花子は内金一五〇〇万円、その余の被控訴人は各内金一二五万円及び右各金員に対する不法行為後の平成三年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」に改める。
三 控訴人らの主張及び反論
1 長期血液透析の適応に関する控訴人らの見解は、原判決九枚目裏二行目から同一〇枚目裏六行目までの記載のとおりであるからこれを引用する。
2 本件で控訴人三井島が血液透析を行わなかったことの正当性
(一) 控訴人三井島の秋子に対する診察経過等は、次のとおり付加、訂正及び削除するほかは、原判決一〇枚目裏九行目から同一三枚目表八行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決一一枚目裏八行目の「再度」を削除し、同九行目の冒頭に「再度、」を加える。
(2) 原判決一二枚目表三行目の冒頭に「同月一七日、」を加える。
(3) 原判決一二枚目裏一行目の「診察前に行われた」を削除する。
(4) 原判決一二枚目裏三行目の「秋子の」の次に「従来の」を加え、同六行目の「判断した」を「判断し、また、家族の実状からも長期血液透析を継続することは困難であり、さらに、尿路感染症等の合併症があることから仮に血液透析をしても生命の予後は不良であると考えられた」に改める。
(5) 原判決一三枚目表八行目末尾に「さらに、渡辺医師が佐々木医師に、電話で右経過を説明したところ、当初は難色を示したものの結局は了解した。」を加える。
(二) 平成三年七月一二日の時点での控訴人三井島の処置の正当性
(1) 原判決一三枚目表一一行目から同一四枚目表九行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
(2) 原判決一四枚目表一〇行目から同一五枚目表四行目までの記載を、本判決の後記(三)(2)に移項の上引用する。
(3) 原判決一五枚目表五行目から同六行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
(三) 平成三年七月一七日以降の控訴人三井島の処置の正当性
(1) 原判決一五枚目表八行目から同裏四行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
(2) 原判決一四枚目表一〇行目から同一五枚目表四行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
(3) 原判決一五枚目裏五行目から同六行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
四 被控訴人らの反論
1 原判決一五枚目裏八行目から同一八枚目裏四行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
2 七月一二日の時点では、秋子の腎不全は代謝性アシドーシスを起すほど重篤化しておらず、短期間に急激に悪化したものであるから、緊急透析によって血清クレアチニン値や血液尿素窒素値が急激に悪化する以前の状態に戻る可能性は十分にあり、そうなれば長期血液透析に移行する必要はなかった。また、七月一七日以降も同様の可能性があった。
五 主たる争点
1 秋子の病態と死因が、糖尿病性腎症による慢性腎不全が尿路感染症などにより悪化して、末期腎不全の状態となり、これが原因で死亡したものであるか。
2 秋子に対して緊急かつ一時的な血液透析を行えば、症状が改善して長期血液透析に移行する必要がなかったのか。
3 秋子について、長期血液透析の適応があったか。
4 七月一二日、控訴人三井島において、秋子を県立病院から一ツ瀬病院に帰院させたことが不法行為を構成するか。
(一) この時点で、既に、長期血液透析が必要な状態であったか、あるいは、そうではなくてもこれに備えて県立病院に入院させておくべきであったか。
(二) この時点での控訴人三井島の措置は、秋子の両親に長期血液透析が困難であることなどの事情を説明して、その上でなお血液透析導入への再考を促したものではなく、血液透析を拒否したものか。
5 七月一七日以降、控訴人三井島において、秋子に長期血液透析を実施しなかったことが不法行為を構成するか。
(一) この時点で、秋子は、直ちに血液透析が必要な状態であったか。
(二) この時点で、血液透析を行った場合にこれを継続する限り当面死の結果は避けられたか。
(三) 血液透析を行わないことについて秋子の両親の承諾があったか。
6 損害関係
六 証拠関係<略>
第三 当裁判所の判断
一 本件の事実経過に関する当裁判所の判断は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実及び理由「第四争点に対する当裁判所の判断」「一 当事者」「二 秋子の病歴、死亡に至るまでの治療経過」の記載と同じであるからこれを引用する。
1 原判決一九枚目表三行目の「甲第二号証」の次に「第二八号証」を、同裏末行の「県立病院は、」の次に「第三次救急医療機関の指定を受け、精神科ベッドを有し、」をそれぞれ加える。
2 原判決二〇枚目表五行目の「乙第一」の前に「第四二号証、」を加える。
3 原判決二二枚目表五行目の「質問者との意志疎通に支障はなかった」を「、医師からの質問に対し、自己の生活歴(職歴)、国立療養所宮崎病院入院前後の身体状況等を具体的にかなり詳しく答え、言葉の乱れも文脈の乱れも全くなく、ただ、職歴についての期間やその当時の年齢があいまいであったり、自己のわがままな行動や暴れたことについては、否定したり直接の回答を避けたりするにすぎない状態であった」に改める。
4 原判決二二枚目表九行目の「医師が」の次に「身体的にも精神的にもかなりコントロール良好であり、」を、同末行の「回復した」の前に「身体的にも精神的にも」を、同裏二行目の末尾に「なお、控訴人らは、右訴えが医学的に見て合理的な理由となっていないから、秋子の精神状態が回復していない旨主張するようであるが、右は、最近でも自宅に帰ると夜尿があるので、さらに治療してそのようなことのない状態になってから自宅に帰りたいという趣旨であると考えられ、看護者が記載したとおり、自然なコミュニケーションであって、秋子の精神状態が回復していないことを示す徴憑とは解されない。」をそれぞれ加える。
5 原判決二二枚目裏七行目の「糖尿病であった」の次に「(なお、甲第二号証、第四二号証によれば、一ツ瀬病院の秋子の精神症状に対する診断は当初からヒステリーであり、その後も変更されてはいないこと、佐々木医師は秋子の病歴から精神分裂病を疑ってはいたが、実際の診察結果からはこれに特有な症状が認められないと考えていたことが認められる。)」を加える。
6 原判決二四枚目表五行目の「精神的不安」の前に「わがまま、看護婦に依存するなどの」を加え、同七行目の「意思疎通上の問題はなく」を「会話は問題なく行われており」に改める。
7 原判決二五枚目裏一〇行目の「被告三井島医師にあて」を「控訴人三井島ないし蓑田医師宛の」に改める。
8 原判決二六枚目表二行目の「触れた部分は」から同六行目の「記載のみである」までを「は、概ね、国立療養所宮崎病院に入院中に精神症状(ヒステリー)が認められて一ツ瀬病院に転院したこと、その治療経過は順調であったこと、さいとう医院に転院してからは自己導尿の指導に従わず、勧めれば勧めるほど水分を摂らないなどやっかいな状態であり、精神状態(わがまま)が悪化したと考えられたため、一ツ瀬病院に再入院したこと、その後は気分的に落着いていることが記載されている」に改める。
9 原判決二六枚目表七行目の「県立病院に来院した。」の次に「控訴人三井島は被控訴人花子から、国立療養所宮崎病院でインシュリン注射の指示に従わなかったことなどから一ツ瀬病院に転院したことなどを聴取した。」を、同末行の「血液透析は」の次に「週に三回受け続けなければならず、家庭崩壊にまでつながることがあるなどとその」をそれぞれ加える。
10 原判決二七枚目裏八行目から九行目の「さほど異常ではなかった」を「やや改善した」に改める。
11 原判決二八枚目表八行目末尾に次を加える。
「なお、控訴人らは、二度目の県立病院受診が被控訴人花子らからの申出によるものではなく佐々木医師の判断であること、被控訴人花子らが控訴人三井島に、被控訴人春子及び被控訴人夏子が付き添うから血液透析をしてほしいとは申し出ていないことから、妹らを呼んだ理由は血液透析の付添いのためではないと主張する。
しかし、一ツ瀬病院のカルテには、家族・本人とも血液透析を受ける意思が確認されたという状況の変化があったとの記載があり(甲二の一七六丁)、被控訴人花子の供述を裏付けている。そして、七月一二日に、県立病院での受入れが難しい状況で、当面は一ツ瀬病院で治療を行うということになったこと、被控訴人春子及び被控訴人夏子は、一ツ瀬病院でも県立病院でも秋子に付き添っていること(原審での被控訴人花子一一回二一五項以下)、そして、そもそも佐々木医師は、秋子に血液透析を受けさせるべく努力していることからすると、被控訴人らとしては、県立病院への再依頼の要否や時期については佐々木医師において判断するもので、妹らの付添いについても佐々木医師から伝えられるか、控訴人三井島においても当然承知しているものと考え、自ら佐々木医師や控訴人三井島に申出ることはしなかったとも考えられるから、控訴人ら指摘の点は右認定を左右しない。」
二 原判決三〇枚目表末行から三三枚目九行目までを、本判決の後記四に移項の上改める。
三 腎不全と血液浄化法の一般的内容は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三三枚目表末行から三八枚目表三行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決三三枚目表末行の「第三四号証、」の次に「第四三号証」を加える。
2 原判決三六枚目裏一行目の「IHFとCAVH=CHF」を「間欠式血液濾過すなわちIHFと連続式血液濾過すなわちCAVHないしCHF」に改める。
3 原判決三六枚目裏一〇行目の「血液濾過」を「連続式血液濾過のうちマニュアルで行うものと」に改める。
4 原判決三七枚目裏一〇行目の「初期には」から同末行の「少なくない。」までを「合併症があるなどして血液透析(HD)を用い難い場合には、まず、血液濾過の方法を導入してその改善を図り、その後に血液透析(HD)に移行する方法が推奨され、よく用いられている。」に改める。
四 秋子の病態と死因について
前記認定の経過に、証拠(甲一、二、三八、三九、乙一、二、七、三六、四〇、原審での斉藤証人三三六項以下、四八九項、五三五項以下、原審での浅野証人一四回一九項、四〇項、一七八から一八四項、一九〇項以下、原審での控訴人三井島第五回二〇一項以下、二八〇項以下、)を併せると、秋子には、糖尿病があって糖尿病性腎症により腎機能が低下する状態にあり、遅くともさいとう医院に入院した五月一三日ころには、慢性腎不全といい得る状態になっていたこと、これが七月二日ころから急速に悪化したのであるが、その原因としては、尿路感染症、神経因性膀胱及び脱水があり、これらが複合的に作用して糖尿病性腎症による慢性腎不全を悪化させたものであること、その状態は、七月一一日ないし一二日の時点で、さらに悪化し始めれば数日の余命かもしれない状態であったこと、七月一七日の時点では、尿毒症の症状を呈して慢性腎不全が末期の状態にあり、生命の予後が不良な状態であったこと(なお、秋子が糖尿病性腎症による末期腎不全の状態であったことは控訴人らも平成九年五月一四日付準備書面で認めている。)、末期の慢性腎不全の症状としては、代謝性アシドーシスが顕著となり、これを代償しようとして呼吸数が増加し、かつ、その深さが大きくなること、貧血が伴うことなどがあるところ、一八日の午後五時三〇分、秋子に右症状が認められたこと、特に代謝性アシドーシスは、人の生存可能な範囲の最低に極めて近い血液PH7.082という低い数値であったことが認められ、これに前記のとおり秋子が県立病院退院後間もなく死亡したことを考え併せると、秋子の死因は右末期の腎不全であると推認することができるというべきであり、斉藤医師も、死の結果を招来させる原因は、全てが腎不全がベースになるものと証言し(五六三項)、高橋医師も、腎不全が中心にあって、その他の原因は付随的に影響を及ぼしたと考えるのが一番自然な考えだと思うと証言して(原審一五回一〇一項)、これを裏付けている。
これに対し、控訴人らは、秋子の死因を明確には主張しないものの、右を争い、浅野教授の意見書(乙三六)を提出して、敗血症、低ナトリウム血症の持続からくる食物摂取不能状態の持続及び適正なカロリーなどの輸液が行われなかったことによる低栄養状態(衰弱)の可能性を言うようであるので検討する。
まず、敗血症については、これを裏付ける症状が認められないことは浅野教授自身が認めている(原審一三回八一項)し、また、控訴人三井島も尿路感染症による敗血症が死因である可能性があると述べているが(原審六回三三七項)、県立病院で特に敗血症を疑って検査なり治療なりをした形跡はなく、佐々木医師あての七月一九日付返答書には尿路感染症の記載すらないのであって、当時敗血症を疑わせる症状がなかったことを窺わせる。
また、低栄養状態(衰弱)についても、浅野教授は、原審での証人尋問において、全体として、低栄養状態自体が死因となるというよりもそれにより腎不全の状態が悪化するという趣旨で証言しており、また、秋子の低ナトリウム血症がそれによって前記症状を惹起する程度に至っていたかについてあいまいな証言をしており(原審一四回一三五項)、輸液についても、七月一二日ころ以降はかなりの輸液が行われているところ(甲二の一六三丁裏から一七八丁)、具体的にどの程度不足したのかの指摘がないのであって(原審一四回一五五項)、いずれもにわかに採用できないところである。
以上の事情に加えて、浅野教授が高橋証人の尋問終了後に提出した補充意見書(乙四〇)で、死因を「慢性腎不全の急性増悪状態が不適切な治療により、ますます悪化し、最終的に死に至ったことは明らかである。」と述べていることに照らしても、右の点はいずれも前記の推認を左右するものではない。
なお、浅野教授が一ツ瀬病院での利尿剤の使用や昇圧剤の使用を問題とする点については、まず、昇圧剤の使用については、一七日の午前七時には終了していた(甲二の一七六丁裏)のに対し、秋子の容態がさらに悪化し始めたのは一八日からであることに(甲二の一七六丁裏、乙二の四、二四、五五から六二丁、当初の意見書や証言の際(原審一三回八五項以下)にはこれを問題にしていないことに照らして採用できない。また、利尿剤の使用については、これは秋子の慢性腎不全の急性増悪状態をますます悪化させた可能性があるにすぎないものであるところ(乙四〇)、これは、生命に対する危険度の大きい高カリウム血症を予防するために用いられたもので、尿路感染症に対する治療としても尿を出すことが必要であるから(甲三一、原審での斉藤証人五二一項以下、原審での浅野証人一三回五二項、一四回一三八項以下)、必ずしも不必要な投薬であるとはいえないのであって、かりに、これによって秋子の慢性腎不全の急性増悪状態がその自然的経過を超えて悪化させたとしても、県立病院としては、これによるものも含めて秋子の腎不全状態に対応しなければならなかったことは明らかである。
五 秋子に対して緊急かつ一時的な血液透析を行えば、症状が改善して長期血液透析に移行する必要がなかったのか。
まず、七月一二日の時点について検討する。
被控訴人らの主張するように、この時点では、秋子の腎不全は代謝性アシドーシスを起すほどに重篤化しておらず、七月二日ころから短期間に急激に悪化したものであるから、この段階で緊急に血液透析を行うことによって血清クレアチニン値や尿素窒素の値が急激に悪化する以前の状態に戻り、一時的に血液透析を行う必要のない状態にある可能性がないわけではない(当審での盛田証人一〇九項)。
しかし、秋子には、原疾患として糖尿病性腎症による慢性腎不全があり、これが尿路感染症、神経因性膀胱あるいは脱水が複合的に作用したことにより急速に悪化したものであり、既に腎機能がかなりの障害を受けていてその回復の可能性は小さいものと考えられ、血液透析を継続する必要のない状態に戻る可能性は小さいことが認められる(甲三八、三九、乙一の八丁、原審での高橋証人一五回三四項、七三項、一六回一七項以下、原審での控訴人三井島第五回二〇一項以下、当審での盛田証人四回一〇六項以下)。かつ、また、仮に腎機能が回復可能で、血液透析を必要としない状態に戻ったとしても、その原因疾患が改善されなければ、結局、血液透析を継続することになる可能性が高いと考えられるところ(原審での控訴人三井島五回二八項)、右悪化原因のうちの尿路感染症については治療が困難で治癒の見込みが乏しいと認められる(乙三六、原審での控訴人三井島五回二一〇項)。
これに対し、浅野教授の補充意見書(乙四〇)には、慢性腎不全の急性増悪の原因は脱水であり、保存療法により回復するのが通常であるとの記載があるが、乙三六及び同人の原審での証言では、概ね、増悪の原因が尿路感染症と神経因性膀胱であるとする控訴人三井島の意見に沿った意見を述べていることと対比して右補充意見書記載部分は採用できない。
以上のとおり、七月一二日の時点で、既に、秋子については、緊急かつ一時的な血液透析を行えば、症状が改善して長期血液透析に移行する必要がなくなる状態ではなかったと認められる。
また、その後の七月一七日の時点でも同様であると認められる。
六 秋子について、長期血液透析の適応があったか。
1 長期血液透析の適応の基準について
控訴人らは、長期血液透析を行うためには、患者において長期血液透析が苦痛と忍耐を要し危険を伴うことなどを理解し了解すること、それに耐える自制心、自己管理能力があること、医療スタッフに対する協力ないしは家族の協力が絶対に必要な条件となり、これを欠く場合は、長期血液透析の適応がないとして実施しないことになると主張する。その内容を見ると、まず、これらがなければ十分な血液透析の効果が期待できず、また、血液透析中の事故の可能性が高まり、死に至る危険があること、さらには、長期血液透析の目的が患者の社会復帰にあり、右のような条件を満たさなければその目的が達成できないこと、人的物的設備に限界があることもいうようであるから、以下検討する。
人的物的設備の限界の点については、現在は、全国的には透析台自体が足りないという状況はなくなっているところではあるが(原審での控訴人三井島七回一一〇、一一一項)仮に、当該時期における当該施設の状況が、人的物的設備に対して血液透析を必要とする患者の数の方が多いなど、いわば物理的な理由で何らかの形で患者の選別をせざるを得ない場合には、控訴人らの主張するように適応の問題を厳格に解し、当該施設に受け入れる患者を決定する必要があるといわなければならない。これに対し、右のような事態ではなく当該患者を受入れる余裕がある場合には自ずから別の問題となるというべきであるから、以下この場合であることを前提に、さらに検討する。
そこで、まず、血液透析の効果が期待できず死の危険性があるとする点について見るに、この中には、患者が興奮したり暴れたりするため、週三回、四、五時間の血液透析の施行自体が困難である場合と、日常の自己管理(水分、塩分、カリウムの制限と糖尿病の場合はさらにカロリー制限が加わる。)ができないため、血液透析を継続し効果を上げることが期待できない場合とが考えられるのであるが、いずれにせよ近い将来にこのような事態となることが予想されるというのではなく、血液透析を長く継続する間にはそのような事態が発生する恐れがあるというに止まるのであれば、反面、長期間そのような事態が発生しないかもしれないのであり、それにもかかわらず、患者に血液透析による生存の機会を、初めから与えないということは社会通念に照らして著しく相当性を欠き(特に、当審での盛田証人によれば、後者については、精神症状がない者でもなかなか守れないことが多いというのであるが、このような者についても自己管理に不安が残るとして透析を拒否することになりかねない。)、このような場合には、血液透析を導入しないことについて本人ないしは家族の同意があるなどの特段の事情がない限り血液透析を導入しなければならないと一応考えられる。そして、将来、問題が発生したときには、事情によっては、特別の対策を取らないで成りゆきに任せたり、血液透析の施行自体が困難な事態となればこれを中止することも許容されることがあるものと考えられる。
次に、長期血液透析の目的をいう点についても、これを広く捉えれば、身心にハンディを持つ患者を広く社会復帰ができないとして長期血液透析治療から排斥し死亡させることを容認することになりかねないのであって、問題のあるところではあるが、その点は別としても、少なくとも腎不全状態が改善されれば退院して日常生活を営み得る可能性のある患者に対して、なお、社会復帰ができないとして長期血液透析による延命の機会を与えないことは、社会通念に照らして著しく相当性を欠き、違法であると一応考えられる。なお、控訴人三井島も、社会復帰の意味について、職業を持つかどうかではなく、日常生活を送るという意味であると述べて、これを裏付けている(七回五七項)。
そして、証拠上窺える右問題に関する血液透析に詳しい医師らの見解を検討しても、日本透析療法学会倫理委員会が、本件を契機として審議をした結果、精神的障害者などに血液透析を行う専門施設を整えることが望ましいとするが、それまでの間は、(1)緊急の際には施設の許す限り治療プログラムを受入れるよう対応するが、それが不可能な場合は他施設の斡旋に努力する。(2) 透析の実施に当っては、紹介医の専門的協力による綿密な患者管理を要請するとの二点を原則とすることを提案しており、右判断に沿うものと考えられる(乙三四)ほか、発行日がかなり古く本件の資料とすることが相当ではない乙一三以外には右判断に反するものは見当らない。なお、控訴人らは、精神科病床を有する施設でも二割強が、精神障害のため治療の意味を理解し得ない患者を適応なしとして長期血液透析を拒否していると主張するが、右調査は現在の受入れの可否を質問したアンケートであり、透析装置に空きがないという理由によるものも含まれていると考えられるから、控訴人らの右指摘は当らない。また、藤見医師の意見書(乙四四の一)は、外来透析や社会復帰が期待できず、しかも、透析療法においても長期予後が望めない患者については血液透析の適応とならないと考えるとするが、同時に、患者家族に十分の説明をしたうえで家族から透析を行わないことの自発的な意思表示があれば透析を行わなかったことは非難されるべきでないとしており、右判断に反するものではない。さらに、控訴人らが平成八年発行の書籍(乙四五)を引用する点についても、全体としては、右判断を逸脱するものとは認められない。控訴人らが昭和四八年発行の雑誌(乙三〇)を引用する点についても、人的物的設備に対して血液透析を必要とする患者の数の方が多いという当時の現状を前提としたものとして理解すべきである。
以上のとおりであるから、結局、控訴人ら主張のような趣旨での適応を問題となし得るのは、当該施設の人的物的設備に限界があり真実やむを得ない場合であり、そのような状況でないのであれば、少なくとも、医師が身心の治療を行っていても、患者が興奮したり暴れたりして血液透析の施行自体が困難となったり、日常の自己管理ができず血液透析を施行しても死亡する事態となることが、近い将来に予想されるか、腎不全状態が改善されても、退院して日常生活を営み得る可能性がない場合などの事情がある場合でなければ、血液透析をなすべき義務があるというべきである。
そこで、以下では、県立病院の人的物的設備の制限から順次検討する。
2 県立病院の人的物的設備の制限
まず、県立病院は、地域の中核病院であるのはもちろん、精神科病床をも有するのであり、精神症状を有し、血液透析以外に延命の方法のない患者に血液透析を行うに最も適した施設である(県立病院で受入れを拒否された場合に他により適した施設があったとは控訴人らも主張しないところである。)。そして、県立病院の血液透析の設備については、乙四二の一及び弁論の全趣旨によれば、当時、県立病院で受入れ可能な患者数は一八名であるのに対し、実際の患者数は一〇ないし一五名であるというのであるから、地域の中核病院として緊急の患者の受入れの必要があることを考慮しても、なお余裕があった。したがって、本件では、控訴人ら主張のような趣旨での適応基準を採用することはできない。
なお、控訴人らは、血液透析中に暴れる患者に対処するだけの人員の余裕はないとも、患者を二四時間監視下におく余裕はないとも主張するが、それらは全ての患者に血液透析を行わなければならない場合を前提とする主張であると解されるところ、前記のとおりそのような見解を採用したわけではないから、右はその前提を欠いて理由がない。
3 秋子に長期血液透析を導入した場合にその継続が困難な事態となる可能性について
この点を判断するには、秋子の従来の医療に対する態度とその精神症状の原因疾患及び改善の可能性、さらに、血液透析を受けることに対する理解と意欲から推測することになるから以下順次検討する。
(一) 秋子の従来の医療に対する態度
(1) 一ツ瀬病院入院以前について
血液透析の施行自体が困難となることを窺わせる資料としては、秋子は二三歳ころから二、三年、様子がおかしく、母親に対しては反発・興奮した態度を示し、激しいときには暴行を加え、病院に行こうというと暴れたということ(甲二の四丁)、国立療養所宮崎病院において、入院当初にバルーンカテーテルによる導尿に反発し、身体を動かすためチューブがはずれ、また採血にも抵抗したこと、同病院入院中、暑さや空腹を訴えて、医師の指示に従わなかったこと(乙七)が上げられる。
しかし、まず、前者については、十数年前のことであり、かつ、当時は精神科の治療も受けていなかったものである。後者についても、その時期は身体的な病状もかなり悪く、初めての糖尿病受診・入院であるうえ(乙七の五六ないし五八丁、八五丁)、同病院入院中は、精神症状に対する治療は殆ど受けていなかったと考えられる(乙七)。従って、精神科の治療が開始された一ツ瀬病院入院中は後記のとおり医療行為に対して特段の反発等が見られないことにも鑑みると、右の態度を前提に秋子の適応を判断することは適当ではない。渡辺医師も、一番重要視した資料は、一ツ瀬病院で精神科の治療を受けていながら、さいとう医院に転院後治療に拒否的な態度を取ったことであると述べて、これを裏付けている(当審での渡辺証人二回五五項)。
(2) 一ツ瀬病院入院以後について
一ツ瀬病院においても、秋子の糖尿病に対する理解は不十分であり、菓子などを欲しがったり、注意されてもさらにご飯をお代りしてしまったことがあったが、看護記録等の記載上勝手に間食をしていた様子は見受けられないし、医療行為に対して特段の抵抗や指示違反は見られなかった(甲二)。
次に、さいとう医院での秋子の態度について見る。
まず、バルーンカテーテルの留置については、五月一三日入院直後に斉藤医師が必要性を説明して実行したのに対し、秋子は、間もなく抜去を希望したが、斉藤医師ないし看護婦が説明すると納得し、当初の予定どおり約一か月間留置して六月一一日に抜去した(甲一、原審での斉藤証人七七項以下、四一七項以下、四三八項以下)。
その後、斉藤医師は、秋子に自己導尿を勧めたが、秋子は自分も人間だからこういう非人間的なことは嫌ですなどと述べてどうしても応じなかった(甲一の二二枚目、原審での斉藤証人一八八項以下、四六四項以下)。しかし、秋子も、七月九日から行われた看護婦による一日数回の導尿は拒否していない(甲一、原審での斉藤証人二一一項以下)。
六月一一日にカテーテルを抜いてから間もなく、秋子は、一ツ瀬病院に戻りたがるようになり、とくに、七月五日、六日には一ツ瀬病院に帰りたいことを強く訴えたが、六日に両親からまだ帰れないと聞かされて、がっかりした様子であったが、一応納得していた(甲一の一〇六、一〇七枚目、斉藤一六九項以下)。また、七月はじめころから、秋子は、看護婦に依存的になり、訴えが多いなど精神状態が不安定になり、七月八日の夜から食事も水も摂らなくなった(甲一、原審での斉藤証人二三七項以下、二六二項以下)。しかし、一ツ瀬病院に戻ることが決ってからは食事等の摂取に問題を生じていない(原審での斉藤証人二五一項以下、二八四項以下)。
他方、秋子は、点滴に対しては抵抗した形跡はなく、特に、七月三日からは毎日のように長時間の点滴を受けて支障はなかった(甲一、二)。
なお、秋子は、さいとう医院入院中は、一ツ瀬病院の処方による投薬は受けていたが、その他の精神科的医療は受けていなかった(原審での斉藤証人一七七項以下)。
(3) そこで、一ツ瀬病院入院以後の秋子の態度を検討するに、まず、一ツ瀬病院では、糖尿病に対する理解や自己管理は十分ではなかったといわざるを得ないが、しかし、全体としては、大きな問題がなく経過している。
さいとう医院での態度については、バルーンカテーテルの留置については特に問題があったとは認められないし、自己導尿についても、斉藤医師は点滴よりも簡単であると述べるが、自分で尿道にカテーテルを挿入することは、人によっては嫌悪感を持つことがあり得ると考えられ、秋子もその旨表明していると考えられるから、右の点から直ちに血液透析にも抵抗するということはできない。七月初め以降の秋子の状態については、それ自体を見れば問題ではあるが、さいとう医院に入院以来一か月半以上精神科の治療は投薬以外にはなされていないから、そのため精神症状が一時的に悪化したもので、十分な精神科の治療を受けていれば、問題を生じなかった可能性があると考えられる。しかも、そのような中でも、毎日のように長時間の点滴を受けて支障はなく、両親から諭されると一旦は納得し、また、一ツ瀬病院に戻ることが決ってからは、精神的に落ちついた様子で、食事の摂取等に問題を生じていない(甲一の一一五枚目、原審での斉藤証人二五一項以下、二八四項以下)のであって、このような点も考え併せれば、秋子の従来の態度からは、精神科治療を合わせて行うことのできる施設においては、特に治療に支障を来す恐れがあるとはいえない。
(二) 秋子の精神症状の原因疾患と改善の可能性
この点について、佐々木医師は、秋子の二三歳ころに様子がおかしくなって国立療養所宮崎病院に入院するまでの経過からすれば精神分裂病が疑われるとしながら、一ツ瀬病院入院中に精神分裂病特有の症状は見受けられなかったため、秋子に認められる精神症状にヒステリーの診断名を付け、精神分裂病との診断はしなかったものである(甲二、四二)。
これに対し、渡辺医師は、秋子が二三歳ころに発症し、慢性化した重症の精神分裂病であったと考えられるとする。そして、その精神分裂病診断の根拠になった主な資料は、国立療養所宮崎病院、一ツ瀬病院、さいとう医院の紹介書・カルテ等から窺える病歴と七月一七日に行ったBPRS検査の結果、精神分裂病の陰性症状である運動減退や情動鈍麻の項目がやや高度と、他が症状なしないし軽度であったこと(衒奇的姿態を除く。)と比べて高いことである(当審での渡辺証人二回一二六項、二九項)。なお、同医師は、七月一七日に、腎不全による意識障害の存否と慢性の精神分裂病の患者に多い知能障害の程度を評価するために、長谷川式痴呆スケール検査を行い、軽度に近い中等度の痴呆という結果で、見当識障害はないといって良い状態であった(当審での渡辺証人二回三四項、四五項、一三三項)が、これについては、腎不全による意識障害と知能障害とを区別することは困難であろうと考えられ、渡辺医師もこれによって診断をしたとは述べていない。また、秋子の精神分裂病が慢性化した重症のものであると判断した根拠は、秋子は二三歳ころに発症し長年精神科の治療を受けていないこと、秋子に陽性症状が認められず陰性症状だけが認められること、シルビウス裂の拡大が認められることである(乙四、四一、当審での渡辺証人二回六五項以下)。
そこで検討するに、まず、渡辺医師が行ったBPRS検査の結果については、該当項目の内容から見て、腎機能悪化による全身症状の衰弱による影響があったのではないかと強く疑われるところである。そして、同医師も、右によるいくらかの影響があること自体は否定せず(当審での渡辺証人二回四六項)、特に、運動減退については、右によるものであることを黙認していると見られる(当審での渡辺証人三回九二項)。また、尿毒症の初期症状には全身倦怠感や意欲の低下が表われることを認め、前期BPRS検査の結果がそれによるものか否かの鑑別は不可能ではないかとの質問については、病歴を考慮して判断したとしか述べていないから(当審での渡辺証人三回九九項以下)、事実上これを認めているともいえる。しかも、渡辺医師は、本件当時、他に秋子ほど腎不全が悪化した患者は見たことがなかった(当審での渡辺証人三回九三項)というのであるから、右検査結果を秋子の精神症状の判断に使用することは相当ではない。
次に、病歴についてであるが、渡辺医師は、秋子の二三歳ころに様子がおかしくなって国立病院に入院するまでの経過が主たる根拠であると述べている(当審での渡辺証人三回一〇四項以下、一六六項、一八二項)。なお、控訴人らは、一ツ瀬病院入院中も精神分裂病の典型的な症状が随所に現れていたと主張するが、その指摘の部分はその殆どが典型的な症状とは認められない。ただ、九月九日の深夜から翌未明にかけて、喧嘩腰の独語があったが、それが幻覚ないし幻聴であればその内容の訴えがあってしかるべきであるが、看護婦から右について二度にわたり聴取されても、気分が悪かったまたは眠れなかったからであるという回答であるから、幻覚ないし幻聴があったとは認められない。渡辺医師も陰性症状は随所に認められると証言するが(当審での渡辺証人三回二六〇項)、右証言内容とやや適合しないし、具体的でもないから採用できない。
以上のとおり、秋子を精神分裂病であると診断する根拠は、秋子の二三歳ころに様子がおかしくなって国立病院に入院するまでの経過しかないのであるが、これも、秋子の両親から聴取した内容で、本人は否定ないし回答を避けていた様子が窺える(甲二、四二)。これに、一ツ瀬病院入院中は精神分裂病の症状が認められなかったことを考え併せると、秋子が精神分裂病であったかは甚だ疑わしいというべきであり、少なくとも一ツ瀬病院入院中の様子を考慮すると重症の精神分裂病ではなかったというべきであり、シルビウス裂の拡大があったことも、これと精神分裂病の陰性症状の重症度との間に関連性が認められるとしても、必ずしも常に一致するわけではないから(乙四一)右判断を左右しない。
そして、仮に、秋子が二三歳ころに発病し慢性化・重症化した精神分裂病であるとしても、渡辺医師は、秋子の精神症状の改善可能性について、陰性症状は薬物治療には殆ど反応しないと言うものの、右発病以前の活発に仕事をしていたころの状態には戻らない、劇的に良くなるとは考え難いというにすぎず(当審での渡辺証人二回六〇、六一、六九項)、現に一ツ瀬病院入院中は、精神症状が落ちついてきていたことが認められるから(甲二、四二、乙七)、いずれにせよ秋子の精神症状が適切な治療により改善する可能性はあるというべきである。
(三) 秋子の血液透析を受けることに対する理解と意欲
七月一二日の県立病院受診の際、一ツ瀬病院は、秋子に対し、県立病院へ検査をしに行くと言って了解を取ったというのであり(甲二の一六二丁)、控訴人三井島も秋子に対しては殆ど問診もしていない(原審での控訴人三井島五回一八六項、六回六七項、原審での被控訴人花子一〇回一一九項)。
しかし、秋子は、七月一六日、佐々木医師から、「血液透析が必要であるので県立病院に頼んである。我慢して受けるように。」と言われて、「はい。」と答えた上、一四時五〇分、一ツ瀬病院で看護婦に「主治医より透析したら治る病気とさっき言われた。」などと話している(甲二の一七四丁)。また、七月一七日、一一時三〇分県立病院入院時には、看護婦に「身体が少しきついだけです、早く元気になって帰りたいです。」などと答えている(乙二の五五丁)。さらに、身体状態がよくない中、精神科の検査にまじめに取組んでいる(甲二の一七四丁裏から一七六丁裏、乙二の二三、二四丁)。
右の事実から、直ちに、秋子が血液透析について十分な知識を持って、これを受ける意欲を持っていたと認めることはできないとしても、少なくとも、一ツ瀬病院やさいとう医院ではできない、我慢を要する治療を、当面は(治るまでは)受けようとしていることは明らかである。
(四) 以上の点に、血液透析の施行自体が点滴などよりも苦痛が大きいとしても、点滴が受けられるならば血液透析も受けられる可能性の方が大きいという意見があること(原審での高橋証人一五回九三項以下)、渡辺医師が、七月一七日の診察でも、興奮、拒絶的なところは認められないと判断していること(乙二の三九丁)も考慮すれば、秋子については、十分な精神科の治療を受けるならば、近い将来に血液透析の施行自体が困難となる事態となることは予想されないというべきである。
他方、日常の自己管理については、退院して自宅での生活ではかなり不安が残るといわざるを得ないが、入院生活を送っている場合には特段の監視や管理を行わなくても特に問題を生じない可能性は十分あると考えられる。そうであれば、血液透析を継続すること自体は十分見込があるというべきであり、退院して日常の自己管理が可能であるかについては、退院して日常生活を営み得るかという点で検討するのが相当である。
これに対し、渡辺医師は、秋子について、医療に対する理解力がかなり障害されており、それに基づく実行という意味での自己管理能力は欠けていたから、血液透析の適応はないと証言するが、その内容を検討すると、自ら日常の水分等摂取の制限を遵守して長期血液透析を一生続けていくことが無理だろうと判断したものであることが窺えるうえ(二回四八項以下、八七項以下、三回二一七項)、かえって、入院時の状態からは透析台で五時間じっとしていられた可能性も(二回八四、八五項)、一生は継続できないがある期間まではできた可能性も(三回二一二項)否定していないから、結局は、むしろ右の認定に沿うものである。
以上のとおりであるから、秋子については、長期血液透析の継続に困難を生じる可能性の点からは、家族の協力の点を検討するまでもなく、長期血液透析導入の適応があったと認められる。
4 秋子について、腎不全の状態が改善された場合に、退院して日常生活を送る可能性について
(一) 精神症状について
前記のとおり、秋子の主治医は、平成三年一月末に秋子についてその精神的症状が入院の必要がないことを前提とする判断をしているし、その後も、右症状の悪化は認められなかった(甲二の七七から八七丁)し、精神科の治療によってさらに改善する可能性もあるから、精神症状に関する限りは退院の可能性は十分にある。
(二) 身体症状について
秋子が糖尿病に加えて治療が困難で治癒の見込みが乏しい尿路感染症に罹患していた点が問題となるが、これについて、改善の余地がない(原審での控訴人三井島五回二八六項)とか、これ以上良くなることは非常に考え難い(原審での浅野証人一三回五〇項)という供述があるが、控訴人三井島は、別の個所では尿路感染症等について改善の希望がないわけではないと判断した趣旨を述べているところ(原審での控訴人三井島五回二一〇項以下)、その後に右のように改善の余地がないと判断した理由として述べるところは斉藤医師が治療していても悪化してきていることを上げるだけであり、そのことは七月一二日の時点で十分承知していたことである(乙一の六、七丁)から、右供述部分は合理的ではなく採用できない。浅野教授も意見書(乙三六)で完全治癒させることはほぼ不可能であるとしているだけで、改善自体の見込みが乏しいとしているわけではないうえ、右の理由として述べるところは本人が治療に協力せず十分な治療ができないことを前提としているところ、前記のとおりその前提は必ずしも当を得たものではないから右意見書記載部分も採用できない。以上のとおりであるから、身体症状についても退院の可能性はないとはいえない。
(三) 最後に、退院後の日常の自己管理についてであるが、精神症状の改善の可能性もあることからするとその可能性がないとはいえない。
以上のとおりであるから、秋子には長期血液透析の適応があり、この点に関する限りは控訴人三井島としては秋子に血液透析を施行すべき義務があったものであり、また、右判断資料は、県立病院におけるもの及び佐々木医師ないし斉藤医師に照会することによって容易に知り得るものであるところ、県立病院におけるものは控訴人三井島において承知しまたは承知し得るものであり、また、控訴人三井島は佐々木医師及び斉藤医師にこれらの点を照会しなかった(原審での控訴人三井島五回二三七項、二四六項、七回九九、一〇〇項)のであるから、重大な結果に即結びつくことが予想される秋子に右適応がないと判断したことに過失があったと認められる。
七 七月一二日の時点での控訴人三井島の対応について
秋子に長期血液透析の適応があるとしても、秋子に精神的症状が認められることやさいとう医院での態度からすると、将来的には長期血液透析の継続が困難となる可能性を否定できないから、もはや保存的治療を続けるべきではなく、直ちに長期血液透析が必要な状態ではない限り、本人、家族などに長期血液透析の実状などを説明してその意思を再確認するため、とりあえず受入れを一時留保して、保存的治療をさせるべく依頼元の医療機関に帰すことは医師の裁量の範囲であると考えられる。
この点に関し、被控訴人らは、佐々木医師、斉藤医師がその懸命の治療にもかかわらず、七月一一日の時点で、秋子に、乏尿等の臨床症状が現れ、かつ、血清クレアチニン値が9.0を示したため、もはや秋子の腎不全の急速な悪化の進行が止められないと判断して、県立病院での治療を要請したのであるから、少なくとも控訴人三井島としては、血液透析の可能な県立病院に入院させて、精神疾患の治療と合わせて腎不全の保存的治療を行い、効果がなければ直ちに血液透析を行うべきであったのであり、一ツ瀬病院に帰すべきではなかったと主張し、斉藤医師も、自分たちではうまく管理ができないお手上げの状態であったから、県立病院に頼んだのにその日のうちに戻されたのでびっくりしたと証言する(原審での斉藤証人五〇六、五〇七項)。しかし、保存的治療のなかで、県立病院ではできて、一ツ瀬病院において斉藤医師の協力を得て行う態勢ではできないものがあるとは証拠上も窺えないところであるし、また、症状悪化に対応して再度県立病院に入院させることもできたのであるから、前記のとおり、もはや保存的治療を続けるべきではなく、直ちに長期血液透析が必要な状態ではなく、かつ、意思を再確認するための一時留保であるかぎり、一ツ瀬病院に帰すことも許されると考えるので、以下これらの点について検討する。
1 当時既に、保存的治療を続けるべきではなく、直ちに長期血液透析が必要な状態であったか。
まず、佐々木医師の県立病院宛の紹介書(乙一の五丁)及び一ツ瀬病院のカルテ(甲二の一六〇丁)には、斉藤医師から血液透析の適応であるとの意見があったとの記載があるが、斉藤医師の紹介書(乙一の六から八丁)にはそのような記載はなく、また、同医師が、原審で、佐々木医師には、直ちに血液透析の適応であるとは言っておらず、それも考えられるという趣旨で話したこと、また、腎不全と精神疾患の治療を合わせて大きな施設で行った方がよいという意見で、佐々木医師にそのように言ったこと、当時の秋子の容態について、カリウムが上昇し始めれば二、三日で死に至る可能性があるが、これに対処するには補液による電解質のコントロール、尿量の確保、感染症への対処とともに血液透析も治療法の一つであるというのである旨の証言をしている(原審での斉藤証人二七八項以下、四九六項以下)ことに鑑みると、右の記載から斉藤医師が直ちに長期血液透析が必要であると判断したとは認められず、むしろ、同医師の判断は将来の血液透析の導入も考えられるというものであった。
また、当時の秋子の状態が厚生省血液透析医療法基準検討委員会の定めた慢性透析療法の適応基準に該当するという点も、右基準は一応の指針にすぎないというべきであるから(甲七、原審での控訴人三井島、当審での盛田証人)、具体的事例についてはさらに検討を要するところ、右斉藤医師の他、高橋医師も、七月一一日の検査結果の状態が続くようであれば、血液透析を考慮ないし開始すべきであると判断しており、この時点で、保存的治療を続けること自体を否定してはいないし、むしろ自分ならば数日間一般的治療を強化するだろうと述べ(甲三八、原審での高橋証人一五回三一項、六六項)、控訴人三井島も同趣旨を述べるから(原審での控訴人三井島七回一四三項以下)、秋子について、当時既に、保存的治療を続けるべきではなく、直ちに長期血液透析が必要な状態であったとは認められず、その他、これを認めるに足りる証拠はない。
2 一時留保しただけで拒否ではないのか。
秋子がすぐに県立病院から帰されてきたことから、佐々木医師らが、県立病院での受入れは非常に難しいと判断したことは認められるが(甲二の一六三丁、原審での斉藤証人五〇八から五一〇項)、斉藤医師は、控訴人三井島の返答書を見て二、三日秋子の様子を見て再度県立病院に連絡する趣旨であると理解しているから(原審での斉藤証人五一一項以下)、同医師らも最終的に秋子の受入れを拒否されたとは考えていない。
被控訴人花子も、控訴人三井島が、血液透析が簡単なものではないと繰返し言うので、秋子が精神病であるために最初から血液透析をしないつもりではないかと感じたとはいうものの、血液透析をしないとの発言はなく、その日は一ツ瀬病院に帰ってくださいということだったと述べている(一〇回一二七項以下)。
かえって、証拠によれば(乙一の八丁、原審での控訴人三井島第五回二一〇項以下、六回一〇四項以下)、控訴人三井島は、七月一二日、前記のとおり(原判決二六枚目表一〇行目から同二七枚目表二行目)、被控訴人花子及び佐々木医師に回答しているのであり、また、同月一六日に佐々木医師から県立病院の渡辺医師に入院の依頼があった際もこれを認めているのであるから(当審での渡辺証人二回一〇項、原審での控訴人三井島五回二三六項)、七月一二日の時点では、受入れを一時留保し再考を促しただけで、この時点で既に秋子の受入れを拒否をしたものではないと認められる。
以上のとおりであるから、七月一二日の時点での控訴人三井島の対応は、医師の裁量の範囲内のものであり違法ではない。
八 七月一七日以降の控訴人三井島の対応について
この時点では、秋子は末期の腎不全であり、秋子を救命するためには血液透析を行う以外に方法がなく、これを行わなければ早期に死に至る状態であったものであり(甲三八、原審での高橋証人一五回八二項、当審での盛田一四七項)、このことは、控訴人三井島も認識していた(甲二の一九七丁、控訴人三井島五回一二六項、二八三項以下、九回二九項以下)。そして、秋子には、前記説示のように長期血液透析の適応があるのであるから、控訴人三井島には、他に特段の事情がない限り速やかに血液透析を実施すべき義務があり、それをしなかった点に過失があり、控訴人らはこれによって生じた損害を賠償すべきことになる。そして、控訴人らは、右特段の事情として、まず、秋子は重篤な尿路感染症等であったから血液透析を行っても短ければ一、二週間程度の延命に止まり早期に死亡したと考えられること、この時点での秋子の低ナトリウム血症の状態から血液透析を実施するとCPMが発生して死に至る可能性があったことから、血液透析を導入するかどうかは医師の裁量の範囲内であること、次に、血液透析を行わないことについて秋子の両親の同意があったことを主張するので以下検討する。
1 この時点で血液透析を行った場合に死の結果は避けられたか。
この点については、確かに、血液透析を行っても早期に死亡することが確実視される場合には、医師の判断でことさら血液透析を行わず、その意味では患者を自然の経過にゆだねることも医師の裁量といい得ることもあり得ようが、反面、血液透析を行わなければ早期に死に至るのであるから、血液透析を行えば相当程度救命の可能性がある場合にまで血液透析を拒否することは裁量の範囲を逸脱するものといわざるを得ないから、以下この観点から順次検討する。
(一) 尿路感染症等の存在について
前記四のとおり、当時秋子に敗血症の症状があったとは認められないところ、治療の困難な尿路感染症があるからといって必ずしもその細菌が血管内に入って敗血症に至るとは限らない(原審での浅野証人一三回五四項)。また、控訴人三井島がそのように判断していたのであれば(原審での控訴人三井島九回一四九項)、まず最初に、その旨の説明があってしかるべきであるのに、佐々木医師に対する七月一九日付返答書面(甲二の一九七丁)には、その趣旨の記載はないばかりか、維持HDの適応を検討してそれがないと説明している。また、七月一九日の被控訴人花子らに対する説明でも同様である(原審での控訴人三井島六回一七〇項、一八六項以下、原審での被控訴人花子一一回二二八項以下)。以上の点に鑑みると、そのころ秋子が尿路感染症が原因で早期に死亡する危険性は少なかったと認められる。
なお、控訴人らは、糖尿病性腎症の患者に長期血液透析を導入した場合の予後が一般に不良である点を指摘するが、前記の観点からは問題とならない。
(二) CPMの発生により死に至る可能性について
まず、通常の血液透析を実施した場合のCPM発生及び死に至る可能性については、浅野意見書(乙三六)には殆どの場合にCPMが発生し死に至るかのように記載されているが、同人の原審での証言によれば、CPMは半数以上かどうかという程度の割合で発生し、また、比較的急に発生した低ナトリウム血症の場合は、長期の慢性的なものに比べて、急に治療してもCPM発生の確率は低く、仮に発生しても症状が軽いこともあるというのであるから、比較的急に低ナトリウム血症になった秋子の場合は通常の血液透析を実施してもCPMの発生により重大な脳障害を起す確率も比較的少なかったということになり、右意見書の記載は直ちに採用できない。
また、血液濾過による継続的血液透析(CHF)を行えば、低ナトリウム血症を急激に是正することなく血液を浄化することができ、CPMの発生を避けることができる(原審での高橋証人、原審での浅野証人一四回一七七項)。これについて、控訴人らは、県立病院ではCHFを行えないし、秋子についてはCHFを行うことが現実的ではないと主張する。しかし、まず、前者については、自動で行うには特殊な制御装置が必要であるが、市販のフィルターと通常の血液透析装置(の血液回路)を用いてマニュアルで行うこともできるのであるから、少なくとも一時的には県立病院においてもCHFを行うことができたと認められる(甲四三、四四、原審での高橋証人)。これに対し、盛田医師は、専用の血液回路と制御装置が必要で県立病院には本件当時これらがなかったと述べるが(乙四二の一、当審での盛田証人六五項)、これは右のとおり自動で行う場合のことをいうものと考えられるから、右認定を左右しない。そして、秋子については、低ナトリウム血症が改善された時点で通常の血液透析に移行すればよいのであるから、県立病院でCHFを行えないとする主張は理由がない。後者についても、浅野教授の補充意見書(乙四〇)には、秋子についてCHFを行うことが現実には不可能であるかのように記載されているが、同人の原審での証言によれば、秋子の場合にCHFを使ってその腎不全の状況を改善することも不可能ではないというのであり(原審での浅野証人一四回一七五項)、CHFが使えないとは断言していないから、右補充意見書の記載は直ちに採用できない。
以上のとおりであり、また、他に、そのころ直ちに秋子の生命に危険を及ぼす事態があったことは窺えないから、右時点で秋子に血液透析を実施すれば、相当程度救命の可能性があったと認められる。
2 秋子の両親の承諾があったか。
控訴人三井島の佐々木医師に対する七月一二日付返答書面(甲二の一九六丁)には、家族の意向によって血液透析を行う余地がある趣旨の記載があり、カルテ(乙二の四四丁)には、秋子本人の血液透析に対する理解度が精神障害のために十分でないため、血液透析の適応がないために、一ツ瀬病院に転院することを承諾する旨の記載があり、被控訴人花子と太郎(被控訴人花子の代書)の署名捺印がある。
しかし、他方、前記認定事実に証拠(原審での控訴人三井島六回一七〇項、一六項以下、原審での被控訴人花子二二八項以下)を併せると、七月一九日、控訴人三井島は、被控訴人花子らに対し、長期血液透析を行うには本人の自己管理能力等が必要であるが、秋子は重症の精神分裂病であるためにその能力がないから長期血液透析を導入することはできない、その場合は、生命の予後は不良であると思われると告げ、被控訴人花子から透析ができないのなら他の方法で何とかしてくださいと言われたのに対して、他に方法はないと答え、その結果、被控訴人花子らは退院を承諾したことが認められる。また、右カルテの七月一八日欄には、今後の対応として、本人が透析に対する理解力がないので当院の透析適応には当てはまらない、両親の同意があれば、一ツ瀬病院に転院するとの記載がある。これらは、秋子に血液透析を行わないことは既に決っており、転院するかどうかについて両親の意向を確認する趣旨に理解するのが相当である。また、渡辺証人も、その趣旨を述べるようである(二回九九項以下)。以上のとおりであるから、秋子の両親は、県立病院から血液透析を断られたと認識して、その上で一ツ瀬病院に転院することについて承諾したのであって、血液透析をしないことを了解したとは認められない。
なお、控訴人らは、秋子の両親から血液透析の依頼がなかったかのようにも主張するが、県立病院外来診療録(乙二の三九丁)の記載から一七日午後三時三〇分、秋子に対して血液透析をするように求めたことが明らかである。また、控訴人らは、血液透析の困難さを理解したうえでの依頼でなければならないとも主張するが、被控訴人花子は、一二日に控訴人三井島からその困難であることを聞かされている(甲二の一九六丁)。さらに、控訴人らは、被控訴人らが、控訴人三井島らから秋子に血液透析の適応がないとして断られてもさらに血液透析を要求しなかったことをもって、血液透析に伴う家族の負担を嫌って真摯に血液透析を求めなかったかのような主張もするが、控訴人三井島は、七月一二日、被控訴人花子に対して、秋子本人の能力が最低条件でこれが確認されない限り血液透析は行わないと告げており(乙一の八丁、原審での控訴人三井島七回一二三項、一二四項)、また、一八日にも家族の協力の問題には触れていないのであって(乙二の四四、四五丁、原審での控訴人三井島六回一七〇項、一八六項)、右のように断られても被控訴人花子らがさらに冷静に血液透析を要求するような心理的状況ではなかった。
九 損害関係
1 前記のとおり秋子は血液透析が行われれば当面生存が可能であったと認められるから、控訴人三井島の不法行為と秋子の死の結果との間にはその限りで因果関係が認められる。
しかし、秋子が退院して日常生活を営み得る可能性については、前記のとおり身体症状及び日常の自己管理という点からするとむしろ低いというべきであるから、秋子の損害として逸失利益を認めることは相当ではない。
また、葬儀費用についても、前記のとおり血液透析自体が危険を伴い自己管理を要求されるもので、日本透析医学会による平成七年末の統計では、四年生存率は64.8パーセントであるうえ、秋子の腎不全の基礎には糖尿病性腎症があるところ、この場合は血液透析施行の際の管理も、また、日常の自己管理も一層困難であり(甲三一の二一一頁、当審での盛田証人三九項以下)、秋子の自己管理能力は比較的低いといわざるを得ないこと、糖尿病性腎症による血液透析患者の死亡原因中感染症はかなり大きな割合を占めるところ、秋子には難治性の尿路感染症があったことなども考え併せると、血液透析を導入しても比較的早期に死亡した可能性はむしろ高いということができるから、これについても損害として認めることは相当ではない。
そうすると、被控訴人らの損害としては、秋子が、血液透析を導入しても比較的早期に死亡したとは考えられるものの、血液透析を導入すれば当面は生存が可能であったのに、直ちに死亡することになったことによる精神的苦痛に対する慰謝料のみが認められるところ、秋子の病状、血液透析が拒否されて死亡するまでの経過、その他本件に現れた諸般の事情を考慮すると、秋子自身の慰謝料としては金五〇〇万円、被控訴人花子及び訴訟承継前の原告甲野太郎の慰謝料としては各金五〇万円が相当である。
2 相続関係
(一) 被控訴人花子及び訴訟承継前の原告甲野太郎は、秋子自身の損害賠償請求権を法定相続分に従って各二分の一ずつ承継した。
(二) 被控訴人らは、訴訟承継前の原告甲野太郎の損害賠償請求権を法定相続分に従って被控訴人花子が二分の一、その余の被控訴人らは八分の一ずつ承継した。
3 弁護士費用
原判決五〇枚目表一〇行目から同裏二行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。
第四 よって、控訴人らは、各自、被控訴人花子に対し、本件損害金四九〇万円、その他の被控訴人らに対し、本件損害金各金四二万五〇〇〇円及び右各金員に対する本件不法行為後である平成三年一二月一日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、被控訴人らの本訴請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべきところ、控訴人らの控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人らの附帯控訴に基づいて、右と異なる原判決を右のとおりに変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき民事訴訟法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官安藤宗之 裁判官多見谷寿郎 裁判長裁判官根本久は、転補のため、署名捺印することができない。裁判官安藤宗之)